ペンギンの糞から飼育員さんを守るために

「ペンギンの糞がものすごい勢いで飛んでくるので、直撃して困るんです」桂浜水族館の飼育員である藤澤史弥氏のそんな一言から本研究は始まりました。

ペンギンといえば主に南半球に生息する飛べない海鳥ですが、世界有数の水族館数を誇る日本では他国に比べ非常に多くのペンギンが飼育されています。本研究の舞台となった高知県高知市の名勝・桂浜にある小さな桂浜水族館でも2020年7月現在49匹のフンボルトペンギンが飼育されています。

ペンギンは自分の巣の外に向かって糞を遠くへ飛ばす習性があります。これに興味をもったVictor Benno Meyer-Rochow氏とJozsef Gal氏は、糞を遠くへ飛ばす際の直腸圧の強さを計算した結果を2003年に学術雑誌Polar Biologyで発表し、この研究成果は2005年のイグ・ノーベル賞(流体力学賞)を受賞しました。

推定されたペンギンの直腸圧は10~60kPaであり、これは最近の電動掃除機の吸引時における外部との圧力差におおよそ匹敵します。この驚異的なパワーに興味を惹かれたとともに、藤澤さんをはじめとしたペンギン飼育員の皆さんをペンギンの糞の爆撃から守るべく、ペンギンの糞の研究をスタートすることにしました。

熟練した飼育員の方ですと、ペンギンが糞をする兆候を感じ取ることができるそうですが(ちなみに藤澤さんもできるそうです)、それでも作業中糞が直撃することはありますし、ペンギン飼育の新人研修などの際にはペンギンの糞の動力学を把握しておくことは大切です。

一方、私の専門は冷却原子気体や中性子星のような一般の方には普段馴染みのないものです。こうした基礎研究は一般の方々の支援によって支えられています。そのため、自然科学や物理学の面白さをより身近に感じていただけるようアウトリーチ活動を個人で行っていました。そのなかで桂浜水族館に訪れた際に、藤澤さんはペンギンに限らずさまざまな動物の生態を教えてくださいました。そんな藤澤さんに何か恩返しができないかという思いが今回の研究活動の原動力でした。

桂浜水族館のペンギン団地。著者の田島(左)と飼育員の藤澤史弥氏(右)。

ペンギンの糞の最大飛距離は?

ペンギンの糞を浴びないためには、その最大飛距離を知る必要があります。その際に重要となるのが、ペンギンがいる高さ、そして糞噴射時の初速度、射出角度です。

先行研究では地表にいるペンギンの脱糞を議論していましたが、ある程度高さのある岩場の上から糞を飛ばすことが多々あります。特に、桂浜水族館にある「ペンギン団地」では、巣が背後の岩場の上にあるため、1m以上高い位置から糞を飛ばしてきます。実際に藤澤さんに糞を飛ばしてくる確率が高い岩場の巣の高さを測っていただいたところ、最も頻度が高い岩場が約1.1m、最も高い岩場が2mであることがわかりました。

次に、糞噴射時の初速度ですが、普段理論物理学の研究をしている私や桂浜水族館には速度を正確に測定する器具はありません。そこで、本研究では、糞初速度の典型的な値として先行研究での測定値(秒速2.0m)を用いることにしました。一方、射出角度に関しては、先行研究では地面と水平に発射した場合のみを考えていましたが、藤澤さんのお話によると上向きに発射されることも頻繁にあるとのことでした。この事実を踏まえ、本研究では任意の角度から糞が噴射されることを前提にして計算を進めることにしました。

これだけの情報が揃うと、ペンギンの糞の軌道計算は高校物理でもよく知られる斜方投射の問題に帰着することができます。運動方程式を解いた結果、桂浜水族館でのフンボルトペンギンの糞の最大飛距離は約1.34mにも及ぶことがわかりました。これにより糞を噴射しようとしているペンギンからどの程度離れていれば安全であるかが明らかになりました。

一方、この計算結果には空気抵抗などを考慮していません。速度に比例した空気抵抗がある場合、ペンギンの糞の飛距離はLambert W関数という特殊関数で表されます。空気抵抗は一般に糞の飛距離を縮める傾向にあるため、今回空気抵抗なしで得られた糞の最大飛距離よりも遠くに飛ぶことはないと考えられます。

ペンギンの糞の初速度に関してはペンギンの体調や気分などに大きく左右されますので、この結果はあくまで典型的な場合ということになります。しかしながら、今回初めてペンギンの糞の飛距離の具体的な数値を提示できたことは、今後の飼育員さんの新人研修等において有用となることが期待されます。

桂浜水族館ペンギン団地においてペンギンが糞を発射することが多い岩場。高さは1.1mほどであり、高いところだと2mに及ぶ。

脅威の直腸圧

上記のように、まず本研究の第一目標であったペンギンの糞の飛距離の推定は達成できたわけですが、先行研究では、どれほどの直腸圧をもってしてペンギンは糞を遠くへ飛ばすのかについて調べられていました。その際、本研究でみたように糞は斜方投射の軌道を描くのにも関わらず、糞の体積計算には実際の軌道の代わりに水平距離を近似的に用いていました。本研究で考慮した軌道を踏まえて直腸圧を再計算してみるとどうなるのかについて興味をもった我々は、この点についても取り組むことにしました。

まず、粘性がない場合の第一近似としてベルヌーイの定理を適用することでペンギンの直腸圧の推定を行いました。ペンギンの直腸内からの糞の噴射は、タンクオリフィスの問題と類似しています。このことから、糞の初速度と直腸圧の関係式を得るのみならず、流体の体積の計算にはベナコントラクタによる縮流効果も加味しました。さらに、ハーゲン・ポアズイユ流を仮定することで直腸圧に対する粘性補正の計算を行いました。粘性補正項は糞の粘性率と体積に比例しますので今回新たに考慮した糞の斜方投射軌道が直接的に関係します。

その結果、糞の粘性率が0.02~0.08Pa・s、肛門の半径が0.004mとした場合のペンギンの直腸圧は8.75~28.2kPaであることがわかりました。同じ粘性率、同じ肛門サイズの場合の先行研究の結果は8.56~20.6kPaであり、本研究の結果はこれに比べ最大で約1.4倍程度大きな直腸圧が使われていることを示唆しています。

今回得られたペンギンの直腸圧28.2kPaという値がどの程度のものなのか、馴染みのない方にはわかりづらいものかもしれません(私もそうでした)。この驚異的強さを実感するために、より身近な例として人間の場合を考えてみます。肛門の高さがおよそ85cmとし、そこから直腸圧28.2kPaで水と同じ密度の「液体」が発射された場合(今回は話を簡単にするため粘性を無視します)、その飛距離は約3mになります。こうなってしまうと普通の水洗トイレを使用することは叶わないでしょう。このことからも、ペンギンの直腸圧がいかに強力であるかを理解できます。

本研究で用いたモデルの模式図。高さhの岩場にいるペンギンから初速v0で噴射された糞の飛距離dを求める。また、初速v0の斜方投射を再現するのに必要な腹腸圧Pを求める。当初ペンギンのくちばしは黄色にしていたが「フンボルトペンギンのくちばしは黄色じゃないです」という藤澤氏の指摘があり、現行の図に帰着した。

公表後の反響と今後の展望

今回最初に扱った斜方投射は、実は高校物理でも解ける問題です。とはいえ、物理と聞くと難しい、近寄りがたいというイメージを持たれる方も少なくないと思われます。ところが、「ペンギンのうんちの軌道を計算してみよう」といわれるとどうでしょうか。物理学により親しみをもてるようになるという意味で、物理教育の題材としての価値も見いだせるのではと期待しています。

また、高知県は著名な物理学者である寺田寅彦氏の出身地でもあります。広い意味では本研究も身辺の現象を扱う「寺田物理学」と通じるものがあるといえます。近年重要視されている異分野横断研究は、寺田物理学のような枠にとらわれない発想と着眼点から産まれていくのではと僭越ながら考えています。

本研究成果を論文にまとめ、プレプリントサーバーarXivで公表したところ、大変ありがたいことに研究者のみならず世界中の方々から反響がありました。本研究について高知新聞などにも取り上げて頂いたほか、イグ・ノーベル賞創始者・授賞式の司会者であるMarc Abrahams氏にも自身が運営するImprobable Researchで紹介していただきました。

また、先行研究著者のVictor Benno Meyer-Rochow氏(実は5年弱ほど八丈島に住んでおられたということで日本語のメールをいただきました)をはじめ、さまざまな分野の研究者の方から応援メッセージやアドバイス(人間とペンギンの排便の比較実験を行うべきなど)をいただきました。

今回の計算では、先行研究の解析を改善することができた一方、未だ多くの課題が残されています。より定量的な数値を得るにはペンギンの糞の数値流体シミュレーションを行う必要がありますし、解剖学に基づいたより現実的なペンギンの直腸構造を考慮することも重要となります。また、ペンギンの糞自体も一様な流体ではなく、総排泄腔を有するペンギンの排泄物は液体と固体の糞尿が入り混じっています。こうしたより現実的な要素を取り入れたペンギンの糞飛来の高精度計算が行われた暁には、きっと世界を沸かせることになるでしょう。

参考文献

  • V. B. Meyer-Rochow and J. Gal, “Pressures produced when penguins pooh—calculations on avian defaecation” Polar Biology 27, 56 (2003).
  • H. Tajima and F. Fujisawa, “Projectile Trajectory of Penguin’s Faeces and Rectal Pressure Revisited”, Scientific Reports of the Faculty of Science and Technology, Kochi University, 3, 3 (2020).

この記事を書いた人

田島裕之
田島裕之
高知大学理工学部特任助教。狭山ヶ丘高校卒業。2012年3月に慶應義塾大学を卒業後、2017年3月に同大学大学院理工学研究科にて博士(理学)取得し、学術振興会特別研究員(PD)を経て2019年10月より現職。専門は理論物理学、“主に”冷却原子気体、超伝導、中性子星などにおける量子多体現象の研究に従事。大学時代は慶應義塾體育會重量挙部に所属、4年時には同部の主将を務める。東日本学生ウエイトリフティング個人選手権大会56kg級3位入賞。