アラバマ (戦艦)

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アラバマ
基本情報
建造所 バージニア州ノーフォーク海軍工廠
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦歴
発注 1939年4月1日
起工 1940年2月1日
進水 1942年2月16日
就役 1942年8月16日
退役 1947年1月9日
除籍 1962年6月1日
その後 1964年6月11日より博物館船として公開
要目
基準排水量 35,000 トン
満載排水量 44,374 トン
全長 680フィート (210 m)
最大幅 108フィート2インチ (32.97 m)
吃水 35フィート1インチ (10.69 m)
機関 ゼネラル・エレクトリック蒸気タービン×4基
出力 130,000馬力 (97,000 kW)
推進器 スクリュープロペラ×4軸
最大速力 27.8ノット (51.5 km/h; 32.0 mph)
航続距離 15,000海里 (28,000 km; 17,000 mi)
乗員 平時:士官、兵員1793名
戦時:士官、兵員2500名
兵装
装甲
  • 舷側:12.2インチ (310 mm)
  • 甲板:6インチ (150 mm)
  • 舷側:12.2インチ (310 mm)
  • 砲塔:18インチ (460 mm)
  • バーベット:17.3インチ (440 mm)
  • 司令塔:16インチ (410 mm)
搭載機 OS2U水上機×3機
発艦用カタパルト×2基
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アラバマ (USS Alabama, BB-60) は、アメリカ海軍戦艦で、ノーフォーク海軍造船所で建造された[1]サウスダコタ級戦艦の4番艦[2]。艦名はアラバマ州に因む。この名を持つ艦としては3隻目[注釈 1]第二次世界大戦終結後記念艦として保存されている[4]戦艦記念公園)。

艦歴[編集]

サウスダコタ級戦艦4隻のうち3隻は民間の造船所に発注され、本艦(BB-60)のみアメリカ海軍の造船所で建造された[注釈 2]。 「アラバマ」は1940年(昭和15年)2月1日に起工。太平洋戦争勃発後の1942年(昭和17年)2月16日、リスター・ヒル夫人(アラバマ州選出上院議員J・リスター・ヒルの妻)によって命名・進水した。進水式にはフランク・ノックス海軍長官も臨席した[注釈 3]。同年8月16日、初代艦長ジョージ・B・ウィルソン大佐の指揮下就役した。

第二次世界大戦[編集]

英戦艦「アンソン」から撮影された砲撃訓練中の米戦艦「アラバマ」。

艤装完了後、「アラバマ」は1942年(昭和17年)11月11日にチェサピーク湾で整調巡航を始めた。1943年(昭和18年)になるとメイン州カスコ湾に向かい訓練を行った。その後1月11日にチェサピーク湾に戻り、整調訓練を行った。ノーフォークでの検査後、「アラバマ」は第22.2任務群に割り当てられ、同年2月13日に戦術的機動作戦のためにカスコ湾に戻った。

イギリス海軍シチリア侵攻のため主力艦地中海戦域に振り向け、ブリテン諸島海域(北海)、北大西洋ノルウェー海)~北極海の警護に必要な艦艇が不足していた。ノルウェーフィヨルドにはドイツ海軍戦艦2隻(超弩級戦艦ティルピッツ」、高速戦艦シャルンホルスト」)が居座っており、ソビエト連邦向け輸送船団脅威を与えていた[7]。イギリスの支援要請に応じて、サウスダコタ級戦艦2隻(サウスダコタ、アラバマ)がイギリスに派遣される。

4月2日、「アラバマ」は第22任務部隊の一部として、オラフ・M・ハストヴェット提督が率いる姉妹艦「サウスダコタ」および5隻の駆逐艦と共にオークニー諸島へ出航した。ニューファンドランド島アージェンティアプラセンティア湾を経由し、5月19日にスカパ・フローへ到着。イギリス海軍の本国艦隊(司令長官ブルース・フレーザー提督)に所属するキング・ジョージ5世級戦艦や空母「フューリアス」などと合流した。第61任務部隊に配属され、本国艦隊の指揮下に入り、共同作戦を調整するための集中的な訓練演習を行った。「デューク・オブ・ヨーク」や「アンソン」と演習をおこなう「アラバマ」の写真が残されている。

6月、第三次ギアボックス作戦 (Operation GEARBOX III) に参加した。7月、ハスキー作戦の陽動とドイツ戦艦対策を兼ねた「キャメラ作戦 (Camera) 」と「ガバナー作戦 (Governor) 」に参加した。このあと本艦と「サウスダコタ」はアメリカへ戻り、同級4隻が全て太平洋に揃った[4]大西洋艦隊所属の空母「レンジャー」や重巡2隻(タスカルーサオーガスタ)などが引き続きイギリス本国艦隊と行動を共にした。

大戦後[編集]

大戦の終盤、「アラバマ」は本州の南部海岸から行動した。1945年(昭和20年)8月15日に日本が降伏すると、「アラバマ」は横須賀東京に占領業務に従事する水兵を運んだ。「アラバマ」の乗組員は艦隊中一番に上陸した。その後、捕虜収容所捜索の偵察飛行を行う空母部隊の護衛任務に従事した。

「アラバマ」は9月5日に東京湾に入り、占領業務から帰国する兵士を乗艦させると9月20日に出航した。マジック・カーペット作戦の一環として沖縄で海軍建設大隊の700名の水兵を乗艦させ帰国の途につく。10月15日にサンフランシスコに到着し、10月27日の海軍記念日には9,000名の訪問客が乗艦した。その後、10月29日にカリフォルニア州サンペドロ湾へ向かい、1946年(昭和21年)2月27日まで留まる。続いて不活性化オーバーホールのためピュージェット・サウンド海軍工廠へ向かった。「アラバマ」は1947年(昭和22年)1月9日にシアトル海軍基地で退役し、ブレマートンの太平洋予備役艦隊入りした。1962年6月1日に除籍されるまで「アラバマ」は同所に留まった。

アラバマ州民は「アラバマ」を記念艦として保存するため「USSアラバマ戦艦委員会」を組織し、その資金を調達した。「アラバマ」は1964年(昭和39年)6月16日に引き渡され、同年7月7日にシアトルで記念式典が開催された。同年9月14日にモービル湾英語版に牽引され、バトルシップ・メモリアル・パーク英語版で永久展示されている。1986年(昭和61年)にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。

展示艦ではあるが映画のロケも度々行われ、『沈黙の戦艦』では戦艦ミズーリ」の代役として利用された。『パシフィック・ウォー』(2016年、原題USS Indianapolis: Men of Courage)では、重巡インディアナポリス」のシーンが本艦で撮影された。

「アラバマ」は第二次世界大戦の戦功により9個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 直近では、標的艦として処分されたイリノイ級戦艦アラバマ (USS Alabama, BB-8) 」がいる[3]
  2. ^ (ワシントン發)[5] 米國海軍省は第一次及び第二次ビンソン建艦案に基き年内に主力艦四隻の建造に着手することとなり十五日ノーフォーク海軍工廠で建造豫定の第六十號を除く第五十七、五十八、五十九の三主力艦の建造を民間造船會社の請負入札に附した、而して軍事通と知られる、ニューヨーク・タイムス紙ワシントン特派員ボールドウヰン氏は右主力艦の性能に就き十五日同紙上で左の如く報じてゐる 本年度起工の新主力艦四隻の設計は目下建造中のワシントン号ノースカロライナ號と全然同型で速力二十七・五ノット、十六インチ砲三連装九門となる豫定である、然し船體及び機關は以上の兩艦と可成り相異する見込みなので設計し直す必要があらう、一方四萬五千トン級主力艦の設計に就いても目下研究が進められて居り、一ヶ年内に設計が完了する見込みだ砲力よりもむしろ速力に重點を置き現在建造中のノースカロライナ級より平均時速を五ノット程度引上げ時速三十二ノット乃至三十三ノットの快速とし主砲十六インチ三連装九門となる見込みである(記事おわり)
  3. ^ (ポーツマス十六日)[6] 米海軍の新鋭三万五千噸主力艦アラバマ號は本日當地に於て豫定より九ヶ月早く進水した、ノツクス海軍長官はこの進水式に臨場に制海權を我々に與へ勝利を我々に與へる軍艦は目下どし〱建造されつゝあり我らは今や防衞時代より戰爭時代に入つたと語つた(記事おわり)

出典[編集]

  1. ^ ◇眞寫はノーフオーク造船所で昨日進水した米國の新鋭戰闘艦アラバマ號(三萬五千噸)”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1942.02.18. pp. 03. 2024年1月3日閲覧。
  2. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 136–139アメリカ サウスダコタ級
  3. ^ 毒瓦斯爆彈投下演習 廢戰艦アラバマ號の破壊試驗 萬國通信員の機上偵察隊觀戰記”. Hoji Shinbun Digital Collection. Shin Sekai, 1921.10.03. pp. 01. 2024年1月3日閲覧。
  4. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, p. 139.
  5. ^ 愈よ年内に着手 米海軍の主力艦四隻”. Hoji Shinbun Digital Collection. Singapōru Nippō, 1938.07.23. pp. 02. 2024年1月3日閲覧。
  6. ^ 新鋭米主力艦 アラバマ號進水 豫定より九ヶ月早し”. Hoji Shinbun Digital Collection. Kashū Mainichi Shinbun, 1942.02.16. pp. 01. 2024年1月3日閲覧。
  7. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 40, 46.

参考文献[編集]

  • ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]