住友化学の十倉社長、「聞き上手」な戦略家
リーダーの肖像
創業100年を超える老舗化学メーカーの住友化学は有機EL材料から養鶏飼料のアミノ酸までを手がけ、2018年3月期に最高益の更新を見据える。11年に就任した社長の十倉雅和(67)は広範な事業に目配りをしながら選択を進める。経営企画での長い経験で磨いたやり方と感覚で業績回復を率いてきた。
10月下旬、横浜市内に日東電工や大日本印刷、キヤノントッキなど日本の名だたる素材・製造装置メーカーの経営トップが勢ぞろいした。韓国サムスン電子が重要取引先を招く定期の交流会だ。
「最先端のディスプレー産業に貢献できて光栄です」。約50社の経営者から代表に指名されたのは十倉。事業責任者の時代からサムスンと親交を深めてきたこともあり、有機EL事業でも蜜月関係を築きつつある。ある出席者は壇上で揚々と語る十倉の姿に「2018年は住友化学が台風の目になる。そう予感した」と振り返る。
指先の操作を感知するタッチパネルの部材や画面を見やすくする円偏向板など有機ELを搭載するスマートフォンには住友化学の材料が欠かせない。数年先の業界事情を見通して大胆に投資するスタイルで、有機ELに先行投資をしてきた。
18年3月期の連結純利益は1200億円と過去最高に達する見通しだ。株価もリーマン・ショック以来の水準を回復。好業績にも「2000年代に実行した大型買収やサウジアラビアのラービグ計画があったから。当時の決断が正しかった。延長線にいるだけ」と歴代社長を持ち上げる。
社長に就任した11年は金融危機と円高で業績は下降局面に突入していた。前の社長だった米倉弘昌(80、現相談役)は重要な局面で要職を任せてきた、「エース」の十倉に立て直しを託した。
十倉は責任をはっきりさせるために役員報酬や管理職の給与を削減したうえで間接部門の人員を減らしてスリム化。退職年金給付のカットにも踏み込んだ。
中でも「関係者にさびしい思いをさせた」と伏し目がちになるのは、40年余り続いた化学品「エチレン」の生産停止だ。エチレンは石油化学コンビナートの中核で、総合化学の象徴。国内生産から撤退する大胆な決断は、しがらみを振り払って最適解を選ぶ合理的な経営者像を印象づけた。
一連の構造改革で500億円を超える最終赤字を計上したが、有利子負債を2千億円超減らして財務の改善に成功した。ひねり出した余力で有機EL材料などへの投資を支えてきた。「やりたかったことの8~9割は達成した」。少しだけ安堵の表情を見せる。
事務方のど真ん中、経営企画畑を歩んだ。「権限は事業部に譲る。本社は目立たなくていいが、現場から尊敬されなければいけない」が持論だ。
「本音を聞かなければ意味がない」。経営企画が企業成長の青写真を描くコツを「聞き上手」と説く。現場は不誠実な態度や「上から目線」の姿勢を嫌がる。生の情報を持つ現場に身構えられれば青写真はゆがむ。「キーワードは談論風発。自由な議論が会社を成長させる」
人なつっこい笑顔と関西弁の軽やかな語り口。相手の懐にスッと入り込んで心を開かせる。社長になっても「謙虚な聞き役」は健在。広範な事業領域を知るために社内の専門家を探しては耳を傾ける。関西人の本性か、「会話に必ずユーモアを挟みたがる」との社員の評もある。
03年に三井化学との大同団結を目指した「三井住友化学」構想では、住友化学の統合準備室部長に就いた。「タフな交渉人の顔に人柄の良さが見て取れた」。丁々発止の議論をぶつけ合った三井化学の幹部は十倉を「絶対に嫌いになれない」と言う。構想の白紙撤回から10年余り、企業の垣根を越えた交流は続いている。
小回りの利く本社、聖域のない大胆な組織改革、聞き役で見つける最適解。これらの経営方針の基礎となったのが、1990年ごろにリーダーとなった全社横断プロジェクトだ。
国際規模の総合化学会社になるための新しい組織体制を考察する――。30代の中堅社員には重いテーマだったが、大役を任せてくれた上司に報いたかった。社内外の100人以上と面談を重ね、ライバル会社も訪ねた。海外から経営書を取り寄せて様々な学説や先行事例にヒントを探した。今まで知らなかった「住友化学」が見えてきた。
「事業部に権限を譲り、結果責任を持たせる」。報告書の要旨は、社内に「ミニ社長」をつくる大胆な権限委譲だ。経営会議で提言したものの「刺激が強すぎた」ためいったんは退けられたが、数年後に実現した。「報告書を読み返したら、あの頃の方が優秀だった」とおどける。「社長を退任するなら報告書だけは持って帰る」と言うほどの愛着と自信がある。
どん底からの改革も総仕上げに入った。世界に目を転じれば、中国化工集団(ケムチャイナ)が6月にスイスの農薬最大手シンジェンタを買収するなど、国境をまたいだ業界再編が相次ぐ。得意分野への集中型が潮流だが、「総合化学はやめない。次の人もこだわってほしい」。自己主張を控える十倉が最後に強い執着を見せた。=敬称略
■ ■休日は漫画喫茶通い■ ■
筋金入りのマンガ好き。かつては単行本を集めていたが、「すべて妻に売り払われた」。ファンはやめられず、休日の漫画喫茶通いが始まった。
「人間交差点」(弘兼憲史作)など社会派作品を好むが、最近は格闘描写が激しい「グラップラー刃牙」シリーズ(板垣恵介作)の新作「刃牙道」を愛読。「ストレス発散のため」と冗談めかしつつ「最新話のネタバレは勘弁して」と訴えた。
(新田祐司)
とくら・まさかず 1974年(昭49年)東大経卒、住友化学工業(現住友化学)入社。経営企画部門やベルギー法人設立を経験。2001年に三井化学との経営統合を推進する事業統合準備室の部長に。08年代表取締役、11年から現職。兵庫県出身。
[日経産業新聞 11月21日付]